ネットで日記とかツイッターとかで何か書くよりも、小説を書くことのほうが独り言に近い。ブログなりツイッターなりではまったく反応がなくても人に読まれているという意識が完全に消え去ることはないが、小説は消える。依頼原稿ではない、頼まれもせず勝手に応募する原稿を一方的に書いているせいかもしれないけど、読まれるという緊張感が書いてる最中たびたび消え失せてただの独り言になる。しかし実際の独り言のように途中無言でいるわけにいかないから無理に独り言を途切れなくいいつづけるようないびつな状態になるので、独り言としても弛緩したどうしようもないものが大量に混じってくる。
小説の中で登場人物どうしが会話しても、しょせん独り言の応酬だ。人形遊びしながら子供がぶつぶつ言ってるのと変わらない。しかも人形遊びのように他者の目を忘れて没頭してるわけではなく、人に聴かせようという意識を中途半端に含んだ発語なのでいやらしい自意識がにじんでいる。
ファミレスとか喫茶店で書くというのは、直接書いてるものを読まれるわけじゃないが、他者の目にさらされているという緊張が書く姿勢に影響をあたえるのでたしかに有効なことなのかもしれない。小説を書くことはストレスをともなうが、極度のストレスを感じてるから弛緩してないということにはならない。そのストレスからの逃げ場として、こともあろうに小説そのものの中で弛緩して羽をのばしてることに自分で気づかないことはよくあるようだ。あとで読み返すまで気づかないのだが。