私は本を読むのが苦手なうえに記憶力がものすごく悪いので、頭の中に単純に言葉のストックが足りない。だから小説を書いていてもその文章のその箇所にふさわしい言葉というのが浮かばなくてあちこち空白を残しながら書いている。単語ひとつの選択で価値がゆらぐようなタイプの小説は書きたくないと思うが、意に反してそういうタイプの小説になってしまっているのか、それとも私の性格上の問題からなのか、こうした空白をたとえば時間切れで適当な単語で埋めてしまったときはのちのちまでその部分への違和感をひきずる。これはまあぎりぎりで選ぶとなぜかベターな選択どころか最悪の選択をしがちだというべつの問題もあると思うが。
単語的な貧しさ(舌足らずな言い方だけど)というのは小説の貧しさの一部だとしても枝葉末節にすぎない、とは思いつつも単語的に貧しくてもびくともしないような細部だけで成り立っていると自信のもてる小説が、そう書けるわけがなく、読み返してここが弱いという部分があちこち見つかったときに、じゃあどうやって補強するか、それとも思い切って切り落としてしまうか、切り落とすと作品として成り立たないなあと思えば補強するしかなく、しかし小説としての貧しさを克服した文章を前後の流れにぴたりと収まるかたちで後から書くのは至難の業で、まして〆切が迫っているとなれば、これはもう次善の策としてせめて単語的な貧しさだけでもここから取り除いてみようかと類語辞典をめくりはじめることぐらいしかできないわけだ。表面を取り繕うことでしかないと思っても。しかし取り繕われたものは醜い、取り繕った者はそれを忘れることはできないのだし。
単語ひとつの選択程度では価値がゆらがない小説、とはどのようなものかについてはまた項を改めて。