眠いので簡潔に書くが「ひまなバイトの時間ほどいろいろな面白いアイデアが浮かぶ時はない」と思った。
自分の文体や考えることのブレだとか、記憶や感覚の断絶などは短歌というジャンルではある程度許容されるので短歌をやっている、というところが私はあると思うけど、小説(散文)の場合は掌編を何らかのフォーマットのもとで量産してるときにその許容の感じを味わえるので、そういうのが好きだったことを思い出した。そういうのがやりたいと思う。具体的には百物語という言葉をタイトルに入れて、じっさいはべつに百でもなければ怪談でもないというものにする。文体とか書き方は積極的にばらつかせるためにいろんな作家の文体模写などをゆるく、似てたり似てなかったり割とどうでもいい感じでする。内容はなんでもよい。各話の字数も制限なし。ただしいくつかここには書かない決まりがあってそのことで「百物語」性が維持されていると何の根拠もなく信じてみることができる。
それなりに数も溜まればどこかに応募するなどの使い道も生まれるだろう。ごく短い文章をどんなことでも自由に書いてもいい、というのはとても素晴らしいことなのだが、使い道ということを考えだすとこの素晴らしさはたちまちまた抑圧されてしまうだろう。だから私は超短篇は詩のようなものだという考えには反対で、というかそういう狭義の超短篇には余り興味がなく、ただ単に短くて自由であること、つまりでたらめであるような短さを支持したいと思う。