自分でも何を書いてるか分からないものが、書いていて最も自由を感じるのでそういうものが書きたいのだが、小説でそれが成功したことはない。
小説でそれ(自分でも何を書いてるか分からないもの)を書くには、書く意識のゆれとか不安定さにびくともしないような形式性や物質性のようなものが私の外に厳然とあって、それと接し続けることでしか小説が書けないという条件にしばられることが必要なのだと思う。
何を書いてるか分からないものを書くのはたのしい。そういう文章に適当なタイトルをつけるのもたのしい。
何を書いてるか分かっているものには、ちゃんとふさわしいタイトルをつけないとそれが「ふさわしくない」と自分で分かってしまうからだめだ。そういうタイトルのつけかたはたのしくない。苦しい。だから小説を書き上げたあとでタイトルを考えるのはいつも苦しい。
タイトルを考えるのがたのしい文章だけが本当は書きたい。
適当につけたタイトルからの連想だけで書き終われる文章だけが書きたい。私のベストはそういう文章だと思う。ほかのものはうまくいってるものでも実はかなり無理をしてる。