ややこしい話であるが、「自分で何を書いてるか分かってる」小説もほんとうは分かってなどいないのである。
だが暗闇に向かって言葉を発しつづけるような無責任さに立つのではないという意味で、何を書いてるのか分かってることにして書くということだ。投げ込んだそばから懐中電灯で照らして位置を確認したり、そういうチェックをこまかく入れながら書くことである分量の言葉をコントロールしようとしている。
ごくみじかいものを書くときはそういう責任感から解放されることができる。投げっぱなしでいられるということだ。
それはたとえば暗闇が「押し入れの暗闇」のような物質的な限定をもつとすれば得られる無責任さといえるかもしれない。
暗闇に向かって書く場合に必要なのは押し入れか、闇の中でも見失わずかえってさえわたるような強固な身体感覚のようなものだ。