書きかけの小説、最初の十八枚くらいまでは(今の頭で読み返したかぎりで、だが)自分でいうのもなんだがものすごく面白いと思う。そこからモードが地の語りから会話文に移行して面白さはちょっと落ちる気がするが、質的な充実感とか安定感はあるしつながりも悪くない。モードはこの二つに限定して、それぞれの中ででたらめのかぎりを尽くすということに徹したい。
そしてモードをどう組み立てるか(今やってるモードをどこで切り上げてもう一つのほうに移るか)ということを意識することだけが、ほとんど唯一ここでするべき意識的な操作ということになる。
場面という単位で作品を考えないほうがいいなあと思った。場面で考えるとそれはどうしてもストーリーになり、ストーリーであることを軽視するとできそこないのストーリーみたいになる。語りのモードを複数(たぶん二、三個)つかってそれぞれの内部での動きは自由にする、というシンプルな決まりだけで、あとは部分部分にひたすら没入してその場の即興的な判断にのみ従う。
モードを変えるのは全体をみての判断ではなく、単に飽きたらでいいと思う。