イメージがすべって書いてしまったところをあとで読み返すと、逆に無意味さが足りないというか、意味だけでスムーズにつながってるように感じられる。
言葉は意味を通過しないとイメージを描けないので、音とか字面とかの無意味さにとどまっているかぎりイメージがすべっていくことはないわけだ。でもその小説のすでに書かれた部分を、書き手でさえ言葉の集積として丸ごとそのまんまとらえるのは難しくて、どうしてもイメージで把握してしまうという問題がある。イメージで把握してしまうと続きもイメージの領域で書こうとしてしまう。
書いてるものが長くなるほど全部を読み返すのは大変になるし、何度も読み返してると視線がつるつるすべってイメージしか読みとれなくなるということもある。
そこで「外傷」的なものが必要になるわけか。「外傷」はイメージ化できない。直接言葉とのあいだでやりとりが生じる。「外傷」に根拠をおいて書くということが、あまりうまくできたためしはないような気がするが。