小説にとってだいじなことはそこに何が書かれているかではなく、そこに何かが書かれている、ということそのものである。
そこに何かが書かれていて、それを私が読めてしまい、そこから何らかの印象を受け取るということ。小説の驚きはそこからやってくる。何かが書かれているということの発見そのものが小説を読む驚きである。
小説とは、われわれからあまりに近すぎるためにふだんは意識がとらえることのないこの驚きの現場へと、さまざまな迂回によってわれわれの意識を送り届けるための手続きのことである。あらゆる書かれた言葉がわれわれを立たせている断崖のようなものを、あと一歩踏み外せば姿を消す私自身のうしろ姿とともに視界へ収められるよう、小説はぐるりと崖のうえを歩かせるための擬似的な道を私のために敷き詰める。私が小説によって驚き、戦慄し、喜びにふるえることになるのは最初に私が立っていた場所なのである。私はそこから一歩も動いていない。