2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

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顔は一種の水面で、水の深みにあるものが映し出される表面、というとらえかたを我々はする。つまりただの平面ではなくつねに深さの印象、その下にあるものの反映を読み取るべき表面として接する。シミュラクラは予期せぬ場所に水たまりのようにあらわれた水…

009

自分が今どんな顔をしてるかの映像が、じっさいに見えてる景色のうえにレイアーとして被ってる。というくらいの自意識がある。それは平和だがじつにつまらない状態。景色しか見えなくなるか頭の中しか見えなくなる、というのが一種の危機の状態で、我を忘れ…

008

怖がる正当な理由がないのに怖い、というのがフィクションの中の怖さとしてはいちばん怖い。

006

ちょっと纏まりのある文章を書こうという意識が強すぎるので、ここらで崩す。 二百字縛りよりも、文章としての纏まりを求めないことにしたほうが書きやすい。以上独り言。 ゆうべからぐっと冷え込む。寒さには殺伐としたところがある。でもこうも言える。暑…

007

この日記は最初書庫Aという名前にしていた。だから私のブラウザのブックマークでは書庫Aのままだ。 他人の使用したものに感じる気持ち悪さ、は恐怖に通じるところがあるか。古着。古本。古道具。中古物件。それらは怪談の舞台?になる。ここにいない誰かの…

005

普段は蓋をしたように安全に思えたものが、急に怖くなる。それは元々怖いものだと知っていたのに、忘れようと努めて蓋をしていたのだ。恐怖とは思い出すことだ。

004

人形が怖くなるのは心が弱っている時だろう。心が弱いと人形に「負ける」気がし始めるからだ。人形の安定感はわれわれのつねに上ったり下ったりする心が勝手に怖れるに十分なものだ。かたちが私によく似ていることが人形の、私に似ていない安定感を際立たせ…

003

幽霊はいるとも言えるし、いないとも言える。つまりどちらとも言えない。なぜなら誰も幽霊を説明することはできないからだ。幽霊はつねに説明の外にいる(ように見える)。説明によって整理されていくこの世界の、整理の手から逃れ余った部分に名づけられる…

002

幽霊の怖さは、人がそこに「いる」ことと「いない」ことの間から生じてくると思う。人が「いる」とは、その人を見ることも触れることもでき、私と同じ内面を彼が持つことも信じられる状態だ。そのいずれかを欠いた時、彼は十全に「いる」とは言えなくなる。…

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このブログは今から八年ほど前に更新を中断した「恐怖生活」(http://cat.zero.ad.jp/gips/kyofu.html)というサイトの続篇のようなものである。旧・恐怖生活と違うのは、更新一回あたりの字数を200字程度に収めること(予定)。それによって話が大きくなり…

001

幽霊とは何か。思うに、幽霊とは人間である。けれど内側をもたない、表面だけの人間だ。人間の姿だけを持ち、その内実がからっぽなもの。つまりにせものである。だが人間の皮をかぶった動物や宇宙人は幽霊ではない。それらはにせものだが、中身が充実してい…