2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

地図的な文章

ある地理的・空間的な条件を呈示しながら、にもかかわらずその後書かれるものをイメージにおいて拘束することのない文章。これを仮に「地図的な文章」と呼ぶ。地図はそれを見るわたしの地理的・空間的な感覚を刺激し、地図を読む身体、のようなものを発生さ…

私の書いた「腐葉土の底」(Witchenkare vol.2)という小説はこのように始まる。〈墓県の県庁所在地は墓市なのだという。市長は死人だ。〉この小説が自分にとって例外的に一貫して「書きやすい」ものだった理由をかんがえるに、この冒頭の一行が書き手である…

スイッチについて

30ぐらいの時いろんなスイッチを切ってしまったが、それらが何のスイッチだったかもう思い出せない。年収百万で東京で屋根のあるところに十年以上住めてるのだから「節電」はみごとに成功しているのだといえよう。 この十数年はものすごく早かったような、時…

ネットで日記とかツイッターとかで何か書くよりも、小説を書くことのほうが独り言に近い。ブログなりツイッターなりではまったく反応がなくても人に読まれているという意識が完全に消え去ることはないが、小説は消える。依頼原稿ではない、頼まれもせず勝手…

ある作家のでたらめさに学ぼうとしていつのまにか作家のいわゆる個性のほうをなぞってしまうというのは、たとえばある酒に酔ってふわーっとなった状態のようなものを自分も書こうとして必死で酒瓶のラベルをスケッチしてる自分に気づくようなことだ。そうや…

いろんな作家にそれぞれのでたらめさがあると思う。だがでたらめさに学び、でたらめさにあやかりたいと願っても、横に置いた本のページにつねに指をのせておくように、そのでたらめな部分を見失わぬよう指先でおさえておくことはとてもむずかしい。いつだっ…

二つあった六月末〆切のどちらか曖昧に目標にしたまま(両方応募にいたるのは経験的にみて無理だから)書くつもりだったのだが、そのうちひとつの〆切の延期が発表され、残るひとつは中編の募集といっていいので、まだ中編がまともに書けた経験のない私はこ…

冒頭の一行というのはそこではじめて言葉を習得した存在が語りだすものであり、いわば言葉のない世界についての言葉の側からの最初で最後のコメントなのではないか。だから、そこには本当はわけのわからないことを書き付けるしかない。 多くの小説は冒頭の一…

冒頭の一行が自分で自分を支える、つまりそれ以後は推移していく時間のそこだけは起源のように何もないところに立っている、そのためには、何らかの謎がその一行の中にあり、謎がそれまで存在していない過去のかわりにというか、冒頭にあるまじき不自由さを…

先月末に冒頭だけ書いたもののうちひとつを時々いじっている。冒頭というか最初の一行(一文)だけは残してあとは足したり消したりしているのだが、これが数行にわたるかたまりでいかにも冒頭然としたかまえをとられるとそれはもう内部のようなものを持って…

テレビは見ないのだが、さっきネットで津波の動画をうっかり見てしまいだいぶ打撃を受けた。あんな映像がテレビではばんばん流れてるのだとしたらテレビ見てる人はタフすぎるかやられすぎてるかどっちかであろう。 蓮實重彦『随想』を読んでいる。蓮實氏の文…

瓜二つ、と書いて思い出したというわけでもないが、以前から「分身」のモチーフで何か書きたいという気持ちがありつつ超短篇や短歌以外ではたぶん扱ったことがない。それはやはり何となく取り扱いが難しそうな予感がするから手を出してないのだと思う。 ディ…

菊地氏の日記はここね。 http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php

なので呉智英先生に瓜二つの声の持ち主である菊地成孔氏の日記を読んでいる。

いやな夢を見ながら起きた。某氏(有名人・面識なし)にむかって必死に×××は×××だというようなことを訴えるという夢。いろんなことがはやく過ぎ去ってほしいと(夢のようにぼんやりとしてしかし強い願いとして)願わずにおれないし、すごくひさしぶり呉智英…

というわけでそろそろ次の小説にとりかかりたいと思う。先月末にいくつか冒頭だけ書いてみたものがあり、それらをいじりながら冒頭案を書き溜めつつ、原則今年に入ってからの書き方をくずさずにいきたい。つまり夢=外傷系の短篇という線をあくまで守ること…

腐葉土の底

昨日発行された『Witchenkare vol.2』というインディーズ文芸誌に書き下ろし小説が掲載されています。「腐葉土の底」という16枚くらいの短編。去年の後半くらいから考えてきた小説についてのいろいろなことの一部が、少なくとも具体的なひとつの形にはできた…

夢の中では、言葉が自分の外にある、ということを経験している。 ふだんは言葉というものは自分の内側にあるような気がしているが、夢を見ている私にとっては、環境、他人、出来事がすべて言葉でできている。つまり言葉が私の外側にある。 小説を書いていて…

夢は言葉という「他者」と自分の間で経験するものだということを、登場人物としての「他者」と視点人物との関係に置き換える、というようなこと。

今回のは(いつものことだとも言えるが)はじめに書こうと思っていたもの、はじめはそう書いているつもりだったものと実際書き上がったものが相当違ったと思う。それは言い換えると、書こうとするものや書きつつあるものに先にイメージを持っていたというこ…