粘着する人というのは、粘着する対象にかつて傷つけられた経験をもっている。傷口に絆創膏を貼るように悪罵の言葉を書き付け、毎日絆創膏を取り替えるように粘着行為を続けるのである。
それはAという人に傷つけられたからAへの粘着というかたちを取るが、彼が向き合うのはAそのものではなく自分の傷口のほうなので、Aという人をめぐる言説として当然あるべき拡散や深まりを見せることはない。ひたすら傷口のまわりを巡るだけで、話の中心が他の人々によって移動させられると彼は興味を失い、話の流れとは無関係にいきなり自分の関心である傷口、つまりAと自分の唯一の接点である場所に話を引き戻そうとする。
Aへの悪罵、それも彼を傷つけることとなったAの発言なり行動なりへの憎しみの表現(それは他者の言葉の単なる引用である場合もある)を書き付けることでのみ、彼はAによって傷つけられた自分の部分を見ないで済むのだ。だがそれは傷口を覆う絆創膏を凝視しているようなものであり、傷がそこにあるという事実を彼は粘着行為によって確認し続け、余計に傷から逃れられなくなってゆく。
傷口が癒えるまで貼り替えが続けられるところも絆創膏と同じである。