先月末に冒頭だけ書いたもののうちひとつを時々いじっている。冒頭というか最初の一行(一文)だけは残してあとは足したり消したりしているのだが、これが数行にわたるかたまりでいかにも冒頭然としたかまえをとられるとそれはもう内部のようなものを持ってしまい、作品の全体を暗示しはじめてしまうので、冒頭と呼べる部分は一行くらいのほうがいいと思う。次の行に何が起きるかをあらかじめまったく想像しないで書くということは、つねにそれまで書かれたものだけが今書きつつある一行を支えている(未来の側から支えられるということがない)ということだから、冒頭の一行目に関しては自らで自らの存在を支えなければならない。未来が存在しない小説の中で、そこだけは過去すらも存在しない部分だということだ。作品によってはタイトルがここでいう冒頭の一行の役目を果たす場合もあると思うが、タイトルは本文からは切り離されているのでいわば本文の全体と等距離にあるようなところがあり、その支配があまりに遠くまで(作品の結末まで)届いてしまうような窮屈さがある。冒頭の一行は適当に途中で忘れてしまうこともできるが、タイトルは(すべての始点であるような機能を与えてしまうと)そういういい加減さを許してくれなくなるような気がする。