冒頭の一行というのはそこではじめて言葉を習得した存在が語りだすものであり、いわば言葉のない世界についての言葉の側からの最初で最後のコメントなのではないか。だから、そこには本当はわけのわからないことを書き付けるしかない。
多くの小説は冒頭の一行を書かない、または冒頭に置かないことでこの「わけのわからなさ」の露呈を避けていると思う。未来の側から支えること、つまりこれから書かれることの何らかの予告という役割を冒頭にあたえることで、冒頭の一行を作品から消し去り、目につかないどこかへ塗り込めてしまっているのだと思う。