いろんな作家にそれぞれのでたらめさがあると思う。だがでたらめさに学び、でたらめさにあやかりたいと願っても、横に置いた本のページにつねに指をのせておくように、そのでたらめな部分を見失わぬよう指先でおさえておくことはとてもむずかしい。いつだっていつのまにかずれて、でたらめじゃない単なる個性的な部分を指してしまっている。あるいは指先の位置は変わらないのだが、行間の空白を指していたことを忘れて空白を挿んだ行のほうを読んでしまったりする。
作家のでたらめな部分というのはちょっと指がずれたり、視線がずれただけで夢でも見ていたように消えてしまうものだ。でたらめさそのものを真似るなんて本当はできないことかもしれない。でたらめさは少しも個性的ではなく、しかしほとんど個性そのもののように見える。