ある作家のでたらめさに学ぼうとしていつのまにか作家のいわゆる個性のほうをなぞってしまうというのは、たとえばある酒に酔ってふわーっとなった状態のようなものを自分も書こうとして必死で酒瓶のラベルをスケッチしてる自分に気づくようなことだ。そうやってそっくりなラベルを見事つくりあげたとしてもそれを貼った瓶の中の水は酒にはならない。そして酒がつくれるかどうかはその人間がかつて酒に酔った経験のあるなしとはいっさい何の関係もないのだ。