あるような気がしてたお金が今日できれいさっぱりなくなる、ということを計算した。
金も仕事もない、荒廃した日々に勢いよくのさばるのがネットであり、ネットをねじふせる、窒息さす、ために画面に脳を直接こすりつける文字をこれから書き続けなければならない。
脳でも画面でもないものが幅をきかせる空間を、あらかじめ脳と画面のこすれた痕で埋めてしまってあればいい。
ということではないでしょうか。そのための、ネットに抵抗するためのホームポジションとしてこの日記を位置づける。ここはネットだが、私の脳がネットをここまで押し戻しているという最初の表面でもある。ネットに押されネットのかわりにつぶやいてしまう言葉、という現象に無防備になっている時間が、たとえばツイッターという一日=二十四時間をネットに可視化したサービス上ではたびたび訪れることを避けられないだろう。あそこには一日があり、同じように一日があるほうの私、水平に流れてゆく私が語りだしてしまうことを何しろ一日もある、しかも毎日、のだから完璧に阻止することはあきらめることになる。
また他者の言葉さえともなって(というより他者の言葉そのものを借りて)流れていく水平の時間はまだ書かれてもいない私の小説にあらわれるはずの水平性をあらかじめ上書きしているだろう。


私は私の小説の水平性を、私のきわめてもろい垂直性への指向を不自由な足のようにひきずってようやく獲得していくということです。一日が無い私、あるいは一日を何度も折り返したり、唐突に横に歩いていくことのできる私のほうをけしかけるために、それにふさわしい不規則な地形を目の前に呼び出していくことが文字を書き続けることと同時に行われる。