●私はなぜ小説が書けないのか、その一


長くなるかもしれないのでその一としたが、その二があるかはわからない。
私は小説が書けない側の人間であると思う。この世には小説が書ける人間と書けない人間がいる。傑作駄作、佳作凡作を問わず、ともかく小説が次々と書けてしまえる人間と、いくらあがいてもなぜか書けない人間と二通りがいて、私は確実に後者に属している。
それは私が少なく見積もってもこの十数年ほかのどんなことより(少なくとも精神的な面積では)優先して小説を書こうとし続けていながら、つねに読み返す気力も湧かないような破綻した文章ばかり残していること、ぎりぎりアウトかもしれないが目をつぶってもいいかもしれないと思える「小説」はそのうちたった三本の短篇しかないことで証明されている。
ここでいう「小説」とは、商業出版レベルなどという高度な要求とは無縁に、単に冒頭から末尾まで読み続けられる文章が維持され、読み終えた者の最低何割かは「小説を読んだ」という感想を持つというくらいの基準でいう「小説」だ。ひとつは三年前新潮新人賞の候補になった「雨傘は雨の生徒」(先日発行されたリトルプレスに掲載してもらった)で、もうひとつは二年前に新潮で一次止まりだったものを改稿して去年早稲田文学新人賞の候補に残った「インフェル野」(落雷によるPC破損により原稿データ消失)。三つめは去年ウェブアンソロジーに載せてもらった「潮干狩り」。以上三本。これ以外には本当に何の謙遜も遠慮も、もちろん隠し玉もなく、人前に出すどころかただそれを「作品」と呼んだだけで悶死しないでいられる文章は一本もない。
ほぼ四年に一本、しかも短篇のみ。異常な少なさではないだろうか。いずれも暗黒の十数年のうち最近数年間の作であること、候補どまりとはいえ自分の目に見える成果は残せたことが救いだが、いいかえればそこにいたるまで(ほかに充実した仕事や日常を送ることもなく極貧状態で)たっぷり十年もかかっている。その十年間書き続けていたはずの「小説」が、実際には一本も書けていなかったということだ。
四百字詰め十枚以下の掌編は別物とする。後にくわしく述べるかもしれないが、私は自分のベストは300〜2000字くらいだと思っているけど、それは小説にならなくとも成立する字数だからであり、それらは文芸誌に載るような意味での小説ではない。そうした断片のような文章ばかりを、しかもパソコンの前にいる膨大な時間からすればほんのわずかな数しか書いておらず、年に何度か新人賞応募のために長めのものに取り組んでは、投函後に自己嫌悪だけが残り、気を取り直した頃に次の締め切りが近づいているという生活が十年。その間私はずっと小説の手前で空回りし続けていたわけだ。
私は自作の評価が特別厳しいほうだとは思わない。とくに小説としての結構など自分が読者として重きを置かない部分には相当甘いはずだ。にもかかわらず、おもにその結構の部分で耐え難いほどの欠陥をかかえた、はっきりいって小説の体をなしていないものが上記三作以外の残り全部(何本あるか数えたくもない)といってよい。
自分の書く文章には何らかのおもしろさがあるのではと私は思っていて、小説を書きながら上機嫌でいることもしばしばである。だが書いたつもりの小説が、ある程度書き進めたところで読み返すと、どこにも存在していないことに気づく。私を機嫌よくさせた文章はたしかにそこにある。だが書きながらそのつど読み返す私に少なからぬ刺激をもたらしたはずの文章が、ある程度距離を置くとどういうわけかまったく生気を失い、死んだ目をして私を見返してくる。そのはげしく気落ちさせられる経験の理由を十数年間私は考え続けてきた。答えを見つけたと思ってはそのたび忘れたが、たぶんそれは答えではなかったのだろう。あるいは、私には理解できない答えだったから捨てたのだろう。
世の中には資質的に小説が書けるし書いてもいる人が、小説家になっている人を含めて少なくともその数千倍はいるのではないか。かれらと私のどこが違うのか、私のどこに致命的な欠陥があるのかについては、やはり次回があれば次回以降にできるだけ具体的に羅列したい。