私の書いた「腐葉土の底」(Witchenkare vol.2)という小説はこのように始まる。〈墓県の県庁所在地は墓市なのだという。市長は死人だ。〉この小説が自分にとって例外的に一貫して「書きやすい」ものだった理由をかんがえるに、この冒頭の一行が書き手である私に地理的・空間的な条件を示しそれをふまえることを要求するものだったことは大きいと思う。わたしの物語的な想像力はおそらくこうした方面に極端に偏っている。
しかし一方で地理的・空間的な条件というのはいわば未来からやってくるもののひとつであり、ある空間の存在を示す一行は、その空間で起きたことのその後の記述によって支えられるのだという問題がある。
つまり冒頭の一行がその後書かれるものの大枠を呈示してしまうという、わたしが一番いやがっている事態が予想されるのだが、なぜそうならなかったのかというと、この空間が言葉の側にほとんどめりこんだものであり、言葉の外にイメージすることが困難だったからかもしれない。
この一行によってひらけたイメージが未来から今の私を圧迫する、ということにはならなかった。この一行はひたすら一行そのものの中にめりこんでいくように見え、この空間について何か書き続けるということは、暗闇で指がふれたものについて書くことだった。しかし空間的な感覚を刺激されているので書く身体のようなものは見失わずにいられる。書くわたしにとっては理想的な冒頭の一行だったということかもしれない。