自分の書いている文章にもつねに死角があって、本当にあったことや本当に考えたことをなぞるような書き方をしても、言葉がそれを囲う塀のようなものである以上、その塀の向こう側は死角として存在している。それは言葉で書かれる以前にはなかったものだ。頭の中にあるものにかたちを与える作業が塀を必要とし、かたちを与えられたものは塀をはさんだ向こう側の死角との緊張した関係に入る。