と思ったら「その場編集モード」というのを使えばすでに書いた記事を編集画面に表示せずに書き込めることがわかったのでたぶん解決した。

時々書かないと自分が何をすべきかわからなくなる。というか、何かすべきことがあったかさえわからなくなってくる。だからとにかく書いておくことにする。私は私の頭の中のことを、書かずに理解するほど頭の面積に余裕がないのだから。 小説を全然書いてない…

前回書いた夢○説という言い方はネットで今違う意味(Wikipedia)に使われてるみたいなので、検索避けに「夢文学」に言い換える。 で、私の書く小説の二つの本流である「夢文学」系と「無職文学」系の書き方は、一作品の中で絶対に混ぜてはいけない相容れない…

私の書く小説、というより今後書いていこうとする小説には大きく分けて二つの系統があると思う。内田百間的な「夢小説」の系統と、ボリス・ヴィアン的かつP.K.ディック的な「無職小説」の系統。あくまでこの二つだけが本流で、それ以外は全部イレギュラーだ…

書いているかといえば、ほぼぜんぜん書いていないわけだが、とうとうポメラを買ってしまってネットと自宅から執筆を切り離す用意ができたり、単語カードを買って「自分の無意識のあの領域に通じるトビラみたいな言葉」をカード化して溜め込む作業にとりかか…

以前小説のことを"「私」と「言葉」と「エピソード」のつくる三角形"のようなものではないか、そして私にはこの三角形がつくれないのでは、と書いたことがあったけど、これら「私」「言葉」「エピソード」はそれぞれラカンの「現実界」「象徴界」「想像界」…

三月に出した小説が二次通過まで残っていたと知り、軽く混乱する。もちろん(さっき本屋で知ったくらいなので)最終には残らなかったけど、いや嬉しいというかありがたいことなのだけど、まったく予期しなかったので動揺する。 自作の評価が、書いてる最中も…

八月が終わる。十月末のをとりあえず目標に据えるならあと二ヶ月。 悪文・不透明系の今いちばん書きたくなっているタイプの書き方のほかに、文体の微妙に違うのをいくつか並行して書く。というか書き始めてる。というか一部は以前書きかけていた小説の、四部…

くせのない明晰な文章で、視点人物の目の前にある事物だけかたっていくと結果的に何か得体のしれないような全体があらわれてくる。というイメージを理想と思ってここ何年か書いてみたけど、やっぱりこのやり方は自分にはどうしようもなく合わないんじゃない…

明晰で癖のない文章を書くことを心がけることをやめる。 ひとまずそっちにはしばらく行かないようにする。悪文の小説、というのを内田百間経由であらためて考えてみるようにしたのはたぶん間違ったことではないと思う。それから笙野頼子。百間はあんまり意識…

●私はなぜ小説が書けないのか、その五 私は書きつつある小説の「ルール」を頭の中に保存しておくことができない。またこの「ルール」は競技ルールのようには明文化できないものだ(なぜできないのか、また絶対にできないのかは今は問わない)。よって小説自…

●私はなぜ小説が書けないのか、その四 六月末に書き上げて応募するつもりの中篇があったのだが、締め切り直前に読み返したら、数日間の推敲でどうにかなるレベルではないと気づいて断念した。その断念にいたる経緯を整理しておきたい。 そもそもこの締め切り…

●私はなぜ小説が書けないのか、その二 私がここでいう「小説」は、たとえば「これは単なる物語であって小説ではない」みたいに原理的または歴史的に厳密に制限したあとに残る「小説」のことではないし、またはある種の「前衛」的な小説を排除して世の中の多…

●私はなぜ小説が書けないのか、その一 長くなるかもしれないのでその一としたが、その二があるかはわからない。 私は小説が書けない側の人間であると思う。この世には小説が書ける人間と書けない人間がいる。傑作駄作、佳作凡作を問わず、ともかく小説が次々…

今日は地獄に落ちたので這い上がることだけに徹してこの時間になる。(夜の七時くらい。)だが地獄は私のは地面からほんの少しの深さしかない。世の中の音も光もにおいも感じられる。ただそれらすべてが自分に届いていないと信じられるようになる。穴のふち…

小説を書くことと読むことはじつはかなり隔たった、血のつながらない、遠くにある行為なのではないだろうか。 というのは「書くように読む」こととくらべると、「読むように書く」ことはかなり難しい、不可能ではないがかなり実現の稀なことではないか、とい…

このブログの書き方がわからなくなってしまったのでタイトルを変えてみた。 書き方がわからなくなったときはこれからも改名してリフレッシュすることにしよう。 今月は収入が一円もないようなのでツイッターから遠ざかるようにしている。 こういうときは精神…

便所の落書きをするために便所をつくるための家をまず建てる、といった途方もないことが小説では行われなくてはならないようだが、いきなり便所の落書きを便所もないのに書き始めてしまうことで、しかし逆順であれ落書きの書かれた場所に便所をつくりそれを…

小説にとってだいじなことはそこに何が書かれているかではなく、そこに何かが書かれている、ということそのものである。 そこに何かが書かれていて、それを私が読めてしまい、そこから何らかの印象を受け取るということ。小説の驚きはそこからやってくる。何…

書いている(書こうとしている)二つの小説のうち、ひとつに構造がさっき発生した。それが身をゆだねるに値する正しい「構造」なのかどうかはわからない。しかし発生したからにはその「構造」を信じてその小説は書いてみるしかなく、信じているかぎり「構造…

ケータイ小説を私は読んだことがないが、われわれが書き、読むべき小説がケータイ小説に瓜二つのものになっていくのは間違いないように思う。 もちろん、視点を変えればそれらはまるで似つかぬものになる。だがわれわれが書き、読むべき小説が、ある貧しい画…

小説は○○であるとか、短歌とは○○だとか書いているとき私は、小説や短歌をすべて目にした経験からそう書いていないのは当然として、わずかに見てきた小説なり短歌が多くそうだった、という個人的な知見の報告でさえない。それはたったひとつの作品がそうだっ…

小笠原鳥類『テレビ』を読む。詩はほんとうに読まないので、ほかとの比較ではないが行間とか余白に視線がみちびかれないのがいいなあと思う。字ばかりを見詰めてしまう。珍しい町並みがそこにあるように。何か訳あって一夜のうちに破壊され慌てて復旧した町…

このあいだ夜中にファミレスで、閉店近くまでいて(五時閉店の店だった)小説の書き出しとあらすじの中間のようなもの(あるいは書き出し部分のみのあらすじみたいなもの)をメモ書きしていたら、それぞれの出来はともかく(冷静な目で読み返してはいない)…

登場人物の台詞だけで一篇をつくってしまってあとからそれを読み返して受ける刺激で地の文を挿んでいく、という小説の書き方ができるような気がしてならない。 だが台詞書きの段階では台詞だけでストーリーを運ぼうとしてしまうので、あとから地の文を挟む余…

あるような気がしてたお金が今日できれいさっぱりなくなる、ということを計算した。 金も仕事もない、荒廃した日々に勢いよくのさばるのがネットであり、ネットをねじふせる、窒息さす、ために画面に脳を直接こすりつける文字をこれから書き続けなければなら…

日本語に「小説」と名前を書いて紙に切り取ってあるのが日本の小説なのはいうまでもないが、では、そこには何が書かれているのか。 それを言うことができる者は誰もいない。日本語には何が書いてあるか、を誰も言えないのと同じように。いくら紙に切り取った…

深沢七郎の文章は歌っているといっても演奏しているといってもいいが、あとから編集されてつくられるタイプの魅力ではないものでできている。 意味的には冗長な部分も多いがそれは歌詞のないところや忘れたところを、鼻歌やスキャットでつないでいるようなも…

私は先入観に異常にしばられやすい人間だと、自分のことを思っている。 しかし、どのようにしばられやすいのかの実例をここに書くことはできない。それを書くことは私の「私は先入観にしばられやすい」という先入観を強化することだからだ。 私は先入観にし…

この日記を(これはブログではなく日記です)ふたたび使い始めることにする。ここでは文学について書く。 私は自分を、小説を書くべき人間だと思い込んでいるが、小説家ではない。だが見方によっては歌人ではある。そのねじれにおいて書き、書くことを考えて…